2020-03-10 第201回国会 衆議院 東日本大震災復興特別委員会 第3号
二週間が経過するころ、五体満足な健康な成人男子が、職もなく、テレビを見ているだけでいいのかという思いも募り、東北自動車道が再開通した翌日、単身、車でボランティアをしに行きました。一年以上、テント生活をしながら、宮城県七ケ浜町で、ヘドロをかき出したり、だめになった家財道具を出したりといった作業を続ける日々でありました。
二週間が経過するころ、五体満足な健康な成人男子が、職もなく、テレビを見ているだけでいいのかという思いも募り、東北自動車道が再開通した翌日、単身、車でボランティアをしに行きました。一年以上、テント生活をしながら、宮城県七ケ浜町で、ヘドロをかき出したり、だめになった家財道具を出したりといった作業を続ける日々でありました。
我が党が国交省との補正のヒアリングの際にいろいろ意見を出させてもらったんですが、これは本当に、できれば、願わくばですけれども、一気にこのホームドアは全国に整備していただきたいなというのが本音のところですので、これは多分、私たちのような五体満足の人ですらそう願うわけですから、視覚障害者の人たちにとってはよりそういう思いは強いと思いますので、その点も含めて、できるだけピッチを上げてお願いしたいと思います
そのときは恐怖で顔が引きつりましたが、テレビを見ているうちに、五体満足な成人男性がこの国難とも言えるときにテレビを見ているだけでいいのかという思いにとらわれまして、東北自動車道が開通した翌日、三月の二十五日に単身で被災地の宮城県七ケ浜町というところに乗り込みました。
世間一般に当てはまるであろう、多くの五体満足の人と、少数の何らかの障害を持って生まれた人との間に、法律で差をつけられることなど、決してあってはならないと思います。 どんな風に生まれても幸せに生きる権利は誰にでもあります。当然主人にも。 今までずっと苦労が多かったことだろうと思います、毎日の生活の中で、常に苦しい思いをしてきたに違いありません。
つまり、私はもう幸いに風邪は完治してきておりますから、そんな、今五体満足の状況であるわけでありますけれども、障害を持った方々からすれば、本当に生活をしたい、地域の中で本当に自立をした自分自身の人間たる尊厳を持って暮らしをしたい、だけれどもそれが先天的にもできない、あるいは途中で事故を起こしてしまってそれもできなくなってしまった。
六十歳以下の五体満足の人には、私の知る限り、これまでほとんど生活保護はこの労働能力の活用ということで適用されてきませんでした。しかし、幾ら働く意欲があっても、中高年者にほとんど求人もない、こういう状況のもとでは、生活保護を適用する以外にこの人々は生きていかれないんじゃないでしょうか。
それでもリストラされたサラリーマンは、五体満足であれば地方に行って農業をやればいいと思うのです。そうやってみんなが必死に努力すれば、道は開けるのではないでしょうか。 そのような中で、一層構造改革を進めるのが首都移転です。当然、これにはお金もかかります。しかし、今のままでは本当の改革は進みません。
それは、健全な人間であっても、五体満足であったとしても、やはりどこか欠けている部分がある。そうすると、自分の活動ができなくなったときに、社会制度の中でどうやって支援をしてくれるか、その社会制度がしっかりでき上がっているかどうかというのがこれから問われていくことだと私は思うわけですね。
ところが、分娩室に入ると、五体満足で、こういう言葉に変わるわけですね。ですから、やはり人間が生活をするに当たって、私自身は、医療の部分をとにかく手厚く、社会保障の中でこのことをずっと言っておるわけなんです。 ただ、そうはいっても、年金のことに関して、大きな犠牲を年金の方に求めるものではないという考えも持ち合わせております。
そういう時代には障害者に対する理解は非常に不足していたと思いますので、健康な人間、要するに五体満足な人間がノーマルな人間であって、私どものような障害者は欠陥人間、社会の落ちこぼれとみなされたと思います。そういう立場で、口で言えることが一番大切である、手話などというものは一般の社会では通じない、そのように見られて排斥されたと思っております。
それは、裏を返せば、歩けない、目が見えない、聞こえない、知恵がおくれているといったハンディキャップのある人は、特殊な存在であり、少数であり、大多数の規格に合った五体満足と言われる人々のために多少の犠牲になってもやむを得ないという暗黙の了解であります。いや、暗黙ではなく、あからさまの場合もしばしばあるのであります。 大臣がこうおっしゃってから二十年の歳月が流れようとしております。
私は、この本の中で、礒野さんがお嬢さんとともに三十年間生きてこられて、そして娘よりも三日間長生きしたいと、こういうお話を感銘深く考えますと同時に、政治家としてもみずから、私三人の子供がおりますけれども、五体満足でございまして、その幸せを実は改めて本を読みながら感じたような次第でございます。
また、ある国では逆に、もっと言うならば、五体満足な方は困っている方に出すのはそれは美徳であって当然であるという国もあるようでありまして、よく日本と三カ国だけがおくれているというようなことが出ますけれども、それは形だけをとらえてはならない。今申し上げたようないろいろな文化、また医学、それから家族関係というものがありますので、その辺は重視しなければならないと思っているんです。
子供が、五体満足で元気な赤ちゃんが生まれてくるのを願いながら、毎日楽しい生活でした。 一九八一年二月九日、何と五体満足な女の子の双子が生まれました。ところが、喜びもつかの間に、一万人に一人の難病と言われる胆道閉鎖症の疑いで次女が福岡市立こども病院に入院、検査が始まりました。主治医より、すぐ手術をしないと助かりません、してもわかりません。そのとき、二カ月二十日でした。
しかし、それと同時に、自分で五体満足と思っておりましても、年をとりますと体が言うことを聞かないこともあると思うのです。
そうしますと、これもやはり子供は子供ですから子供のカウントの中に数は入りますけれども、現実はといいますと、これはもういわゆる未熟児が五体満足な成長を遂げて社会の一員になるという展開はまずなくて、ほとんどの人がずっと施設の中で、あるいは身体障害者施設に入って四十歳ぐらいまでそういう囲いの中にいる、こういう事実があります。
命も、五体満足で帰ってきましたから、私個人にすれば、まあまあ私よりはひどい人が随分おったんだから、ありがたいことだと思っております。しかし、ほんのちょっとのすれすれのところで上下するんですから、どこかで線を引かなければならぬことはあるでしょう。
実は、単純労働というのは、五体満足な成人男女であれば今から直ちに就労することができるような内容の作業に従事するという概念で考えておりますので、移転すべき技術はそこにないだろうと思われます。
そういう姿を見ていますと、五体満足な我々は実にいいかげんなものだなと、もっとも私自身がいいかげんですから。物すごく反省させられるんですね。 それで、この間も予算委員会で申し上げましたが、ボランティア刑、福祉刑ですね、こういうことを申し上げたんです。イギリスやオーストラリア、ニュージーランド。イギリスなんて国はよくこういうことを考える国なんですが、日本でも考えてもいいんじゃないかなと。
こういう状態を私は五体満足でこうして帰ってきたんですから、私は自分自身が帰ってこられたことに感謝しております。 けれども、必ずしも動員されて赤紙一枚で行った人間、そういう人たちだけが犠牲者じゃないんですよ。国の中で手も足も出せないカメの子みたいな状態で生産に従事していて、いきなり爆撃食った人、これだってやっぱり最大の犠牲者じゃないかと思うんですがね。
ただ五体満足だから何にも言いませんけれども、やはり一般の国民も犠牲者なんですから、その方々に対するもうちょっと情味のある御見解を承って終わりにします。